short story

2008.7.20 伯父とともに

呉 坤忠

2008年4月に台湾を訪問した際に、台湾民主記念館(旧名中正紀念堂)に行ってきました。
ここには蒋介石元総統の歴史的功績をたたえるため、蒋介石氏ゆかりの品々が多数展示されています。

中正紀念堂が台湾民主記念館という呼称に変わったのには政治的な背景もありますが、それはともかく 蒋介石が偉大な歴史的人物であったことは否定できません。
わたしは蒋介石のことを思うとき、自分とはかけ離れた遠い歴史上の人物ではなく、手を伸ばせばそこに立っているかのような親近感をもつことがあります。
ここに1枚の写真があります。
1947年3月8日、台湾の首都、台北の総統府内で撮影された写真で、中央に座っているのは蒋介石です。
そして、蒋介石の隣に座っているわたしによく似た顔立ちの人物は、伯父の呉天財です。

蒋介石とともに
中央が蒋介石。その左隣が呉天財

伯父は、公益(ボランティア)に力を注いだ人物でした。

彼は第二次世界大戦下から華僑として福岡県北九州市に移住していたのですが、当時は政府の統制下にあり、自由に食料品を販売することができない時代でした。そのような状況の中、米軍基地内のPX(=post exchange 売店)を通して砂糖を販売するルートを得、それによって財閥を築きました。
砂糖の販売のみならず、福岡県北九州市小倉の“揚子江”という中華料理店も伯父によって興されました。

そうして築き上げた資産を、公益(ボランティア)のために充てていたのです。
北門郷七股大寮の古い寺を再建して、住民のための集会所を造りました(台湾には「公民館」というものが 存在せず、寄り合いのときはお寺を使うのです)。

また、「頼母子講(たのもしこう)」とよばれる相互扶助組織の会長となり、銀行から融資を受けられない貧しい人々に お金を工面することもしました。

さらに、華僑として日本に移住した台湾人が犯罪を犯し、日本の刑務所に収監されると、本来は出所後は本国に強制送還されますが、当時は、保証人がいれば彼らは司法保護を得、日本で今までのように就労することができるという制度があり、伯父はその保証人を引き受けることで多くの人を助けました。

このように、彼は多くの住民のために尽力しましたが、国家へも財産を寄付して国家の発展に貢献しました。
台湾初代総統の蒋介石から、総統府へお招きにあずかったのはそのためです。

わたしは幼い頃からこういう伯父の姿を見て育ち、わたしもまた、ゆくゆくはボランティアに力を注ぎたいと考えていました。
今、同志の仲間とめぐり合い、こうして各国で医療奉仕をさせていただいています。
わたしは伯父ほどに大きなことはできないが、小さな町のひとりひとりに医療奉仕を続けていきたいと思っています。
彼のボランティアに生きるという遺志を受け継ことができ、大変嬉しく思っています。